障害を語るときに使用を控えるべき英語表現とは
今回取り上げるのは、「障害を指す言葉が侮辱のために使われているケース」「"障害者"をなんと呼ぶのが正しいのか」「Deaf と deaf は何が違うのか」などの問題です。
前回の「障害編 (1) 〜障害の社会モデルを中心に〜」はもうご覧になりましたか?
前回は、何よりもまず前提となる「disability」という言葉が「social model of disability(障害の社会モデル)」において「impairment」とどのような対比関係にあるのかを中心に解説しました。
今回は「適切な言葉選び」がテーマです。
今回も盛りだくさんで長くなりました。でもどれも外せない話なので、何か好きなお飲み物でも飲みながらゆっくり読んでください……!
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まず最初に取り上げたいのは、「もともと特定の障害を指していたのに、現在は主に侮辱のために使われている言葉」の存在です。
dumb
「ダム」と発音されるこの言葉は、現在主に「バカな」「愚かな」という意味で使われています。「バカでもわかるように言い換える」ことを dumb it down と表現したりすることもあります。
この言葉は、もともと「ものが言えない」「声が出せない」という意味でしたが、現在は不適切な表現としてその意味では使われなくなってきています。ただ、今でも dumbfounded(言葉が出ないほど唖然としている)という言葉にその名残があります。
ちなみに日本語の「唖然」も、「唖」が「ものが言えない」「声が出せない」という意味です。「聾唖(ろうあ)」という言葉にも含まれていますね。
ちなみに「聾唖」「聾唖者」は今では不適切とされることが多く、「ろう」「ろう者」という表現が一般的に多くの当事者に好まれています。
lame
次に「ダサい」「退屈な」という意味で使われている lame です。「That’s lame」を訳すと「ダッる」という感じのニュアンスになります。
こちらはもともと「歩くことが困難な」という意味でした。
先ほどの dumb と同様、障害を指す言葉としては不適切だと認識されています。
「dumb」も「lame」も現代的な使われ方があまりに普及しているため、英語学習をしていると自然と見聞きしてしまうことが多いと思います。
ですが、私は「dumb」も「lame」も絶対に使いません。なぜなら、障害を指す言葉を転用してネガティブな、侮辱的な言葉として使うのは間違っていることだと思うからです。
学習者の皆さんにも、見聞きした言葉をそのまま吸収して自分も使ってしまうのではなく、その背景にある障害者への蔑視に思いを巡らせてほしいなと思います。
同様に、侮辱的な転用ではありませんが、精神疾患のある状態などを指す「crazy」が色々な意味で使われていることや、視覚障害で視力が著しく低い状態を指す「blind」が「あるものに気づいていない」という意味で使われたり、「blind date」(初対面のお見合い的なデート)などの表現にカジュアルに使われていることなどにも、思いを馳せてほしいなと思います。
では次に、障害のある人々のことをどう呼ぶのが適切なのか、考えてみましょう。
まず第一に理解しなければいけないのは、「こう呼んでおけばOK」というような1つの正解はない、ということです。誰に対して呼びかけても絶対に気分を害することがない呼び名なんていうものはありません。常に正解は個々人とあなたの人間関係の中にあるということを理解しましょう。
さてその上で、どのような表現が現在最も適切だと思われているのか。
people with disabilities
これが最も中立的で、現在一般的に使われている表現です。
例文:The new law aims to improve accessibility for people with disabilities.
(新しい法律は、障害のある人々のアクセシビリティを向上させることを目的としている。)
disabilities の前に言葉を入れることで、どのような障害かを表すこともあります。
people with physical disabilities 身体障害のある人々
people with developmental disabilities 発達障害のある人々
people with psychosocial disabilities 心理社会的障害のある人々(メンタルヘルスの問題によって日常生活や社会生活等に支障が出ている場合)
people with intellectual disabilities 知的障害のある人々
people with cognitive disabilities 認知障害のある人々
people with learning disabilities 学習障害のある人々
people with hearing disabilities 聴覚障害のある人々
people with visual disabilities 視覚障害のある人々
people with motor disabilities 運動障害のある人々
people with sensory disabilities 感覚障害のある人々
例文:Many websites are still difficult for people with visual disabilities to navigate.(多くのウェブサイトは、視覚障害のある人々にとってまだ閲覧が難しい。)
他にも障害者を指す言葉はいろいろありますが、注意が必要なものが多いです。
注意が必要な表現 (1) handicapped
日本語でも時々使われる「ハンディキャップ」という言葉。英語では「handicapped」と受動態で使われます。
「ハンディキャップ」という日本語も当事者からは不評ですが、英語でも同様に、当事者から好まれている表現ではありませんので注意しましょう。
注意が必要な表現 (2) disabled
次に disabled です。前回の「障害編 (1) 〜障害の社会モデルを中心に〜」から関連する部分を抜き出しますね。
able(できる)に「分離」「剥奪」「否定」などを意味する接頭辞 dis- を付けて disable(できなくさせる、能力を剥奪する)。そしてそれの名詞の形が disability です。
この解釈の背景には、障害というものが当事者の身体や精神に内在的に存在するのではなく、人間の身体や精神の多様性を無視した社会設計によって排除された結果、特定の身体や精神を持つ人が何かを(社会設計によって)できなくさせられている、という考えがあります。
こうした考えから、あえて「disabled people」という言葉を使う人も——特にイギリスでは——たくさんいます。形容詞ではなく動詞の受動態として disabled をとらえ、「disabled by 〇〇?」——つまり誰によってdisable されているのかを問う姿勢です。
ただしこれは、当事者によって reclaim(取り戻す)された新しい文脈での使用法であることに注意が必要です。たとえば非障害者である私は基本的に「people with disabilities」という表現を使うことにしており、あとは個別のケースに合わせるようにしています。
また、英語では「the【形容詞】」で「〇〇な人々」と集合的に表現することができますが(例:the rich = 富裕層)、「the disabled」と集合的に表現することは奨励されていません。
注意が必要な表現 (3) crippled
次に「crippled」という表現です。
これは身体障害、特に四肢の障害を指す言葉ですが、他に「無力化された」とか「壊滅的な」とかを意味する、とてもネガティブな言葉でもあります。
例文:Public transportation was crippled by the power failure.(停電で公共交通機関が麻痺した)
「crippled」という言葉を人に対して使うのは、非常に侮蔑的なことであることを頭に入れておきましょう。
一方で、先ほど reclaim(取り戻す)という話をしましたが、この「crippled」という言葉の略称である「crip」もまた reclaim された歴史を持っています。
1960年代からの障害者権利運動(disability rights movements)によって disability pride(障害を誇りに思うこと) が広まる中で「crip」という言葉が当事者の間で使われるようになると、Crip Camp、Crip Rave などイベント名などにも使われるようになりました。さらに身体障害以外の障害も含んだ包括的な、ポジティブな言葉として使われるようになっていきます。
こうした「取り戻し」の歴史は、ちょうど同時期に「queer」(おぞましい変態という意味)という言葉が今で言うLGBTQ+当事者たちに reclaim されるようになった歴史と似ていますね。
さらに、「queer」とはもう一つ共通点があります。
たとえば 「queering technology」と言うと「テクノロジーをクィアな視点で分析する」という意味になります。「queer」を他動詞として使う例ですね。
同じ使い方が「crip」にもあって、「cripping technology」と言うと「テクノロジーを障害視点で分析する」という意味になるんです。
ただしこうした使い方は(「queer」と同様)まずもって当事者によって使われるからこそ「reclaim」なわけであって、非当事者が気軽に使ってよい言葉ではないということに大いに注意してください。
people with low vision / They have low vision.
視覚障害については、low vision という表現もあります。これは視力が低い状態(弱視と呼ばれる)を意味します。
例文:For people with low vision, high-contrast color schemes and adjustable font sizes can make a significant difference in their ability to access information online.
(弱視の人々にとって、ハイコントラストの配色や調整可能なフォントサイズは、オンラインで情報にアクセスする能力に大きな違いをもたらす。)
「visually challenged」とか「hard of seeing」という表現が「配慮ある」表現のように言われることもありますが、当事者たちからは好まれていません。
「visually impaired」という表現もありますが、こちらは「医療的な言い方だ」とされ、良く思っていない当事者が多いです。
当事者の多くは「people with low vision」とか「people who are blind」という表現を好んでいます。これは前述の「people with disabilities」と似た person-first(「人」を先に言う)という構造になっており、特に北米で好まれることが多い言い方です。
people who are hard of hearing / hard-of-hearing people
「hard-of-hearing」は聴覚の低い状態(難聴と呼ばれる)を意味する言葉です。名詞の前に形容詞として付く場合はハイフンで繋げられることが多いです。
例文:The conference provided real-time captioning for hard-of-hearing participants.
(会議では、難聴の参加者のためにリアルタイム字幕が提供された。)
先ほど「hard-of-seeing」は当事者から好まれていないと言いましたが、一方で「hard-of-hearing」は昔から当事者コミュニティで使われていた言葉で、抵抗がないという当事者が多いです。
ただし、「抵抗がないという当事者が多い」というのは「好ましく思わない当事者がいない」ということを意味しません。
99%の当事者が「別にいいんじゃない?」って思っている表現でも、あなたの目の前にいる当事者は「自分は嫌だから、それで呼ばないでほしい」と思っているかもしれません。
a wheelchair user / use a wheelchair
かつて英語では「wheelchair-bound」という言葉が一般的に使われていました。
「〇〇-bound」は「〇〇に縛り付けられた」「〇〇から離れられない」という意味です。これは「車椅子を使っていること」と「移動が制限されている状態」を結びつける考え方です。
しかし、車椅子はむしろ「移動を可能にするもの」です。そしてその移動をする主体は乗っている本人です。
ですので、「wheelchair-bound」という表現は「制限されている状態」に注目していることに加え、「bound」という受動態を使っていることにおいても、当事者の主体性を奪うものなのです。
現在は「bound」は不適切とされており、その代わり「use」「using」「user」という言葉が使われるのが一般的です。
例文:My mother uses a wheelchair.(私の母は車椅子を使う人です)
例文:I am a wheelchair-using nonbinary person.(私は車椅子を使っているノンバイナリーの人です)
例文:People using wheelchairs often have to plan their routes carefully to avoid stairs.(車椅子を使っている人は、階段を避けるためにルートを慎重に計画しなければならないことが多い。)
他に「a wheelchair rider」や「a wheelchair driver」と言う人もいます。「a wheeler(車輪を扱う人)」という表現を好んで使う人もいたりします。
絵文字やピクトグラムでも、昔は静止した車椅子利用者の絵が使われていましたが、あえて疾走感のある絵にするなど能動的な利用者の姿を描く試みもされてきています。

Deaf vs. deaf
冒頭の「dumb」の項目で、聾唖(ろうあ)ではなく「ろう」「ろう者」という表現が多くの当事者に好まれていると言いました。では、この「ろう」は英語で何というのでしょうか。
英語では「Deaf」と言います。
「deaf」ではありません。この二つは大きく違う意味を持っています。
例文:They’re Deaf writers who publish a zine in sign language videos. It’s getting popular online.
(その人は手話動画でZINEを出しているろうの書き手で、ネットで話題になっている。)
このように、文中であっても最初の D を大文字にするのが適切です。音声できちんと表現したいときは「Deaf with a capital D(大文字のD付きのDeaf)」と言ったりします。
小文字の deaf は「聴覚が低い/ない」というような身体的状況を指しますが、大文字付きの Deaf は「デフ/ろう文化やコミュニティに属する人である」という全く違う意味を持っています。
a deaf person = 耳が聞こえない人
a tall person(背が高い人)と同じ文法構造です
a Deaf person = ろう者(ろう文化やコミュニティの人)
これはろう文化に限った話ではありません。
たとえば「Black with a capital B」。
もし小文字で a black person と言ったらそれは「黒い人」という意味ですが、大文字で a Black person と言うとそれは「黒人文化やコミュニティに属する人」と言う意味になります。
なぜ大文字付きで表現することでこんなに意味が変わるのかというと、最初の文字を大文字にするのは固有名詞だからです。
固有名詞とは、人の名前や地名、国名、商品名など、特定のものにつけられた名前のことです。たとえば「パソコン」は一般名詞ですが、「MacBook」は固有名詞です。「人間」は一般名詞ですが、「瀬戸マサキ」は固有名詞です。「都道府県」は一般名詞ですが、「千葉」は固有名詞です。
そして、民族名もまた固有名詞です。たとえば「Japanese」「Korean」「Nepali」「Filipina」なども、最初の文字を大文字にしますよね。それはこれらが民族(文化や歴史、言語を共有する集団)だからです。
同様に、「Deaf」の人々も「Black」の人々も、文化や歴史、言語を共有する集団、つまり「民族」として認識されている——少なくとも、大多数の当事者によって——ということです。
こうした「Deaf with a capital D」や「Black with a capital B」にある思想は、人間を「耳が聞こえない人」とか「黒い人」と描写するのではなく、どのような文化的・歴史的・言語的背景を持った人なのかに注目すべきだ、というものです。
小文字で書かれた「deaf」や「black」には強い侮蔑を感じるという当事者も少なくありませんので、使わないようにすることが奨励されています。
障害の話からは逸れるのですが……。
先ほど「a deaf person は a tall person と同じ文法構造だ」と言いました。実はトランスジェンダーの文脈では、あえてこの文法構造(a【形容詞】【名詞】)を使う表現が一般的になっています。
つまり「a transwoman/a transman」とか「a trans-man/a trans-woman」のような表現を使うのではなく、
a trans man(トランスである男性)
a trans woman(トランスである女性)
a trans person(トランスである人)
と言うのです。
なぜこのように表現するかというと、世の中にあまりにも「トランス女性は女性ではない」「トランス男性は男性ではない」というような否定的な考えがはびこっているからです。
「a woman」「a man」をベースにして、そこに tall や rich や kind などの形容詞と同じように trans を付けて「a【形容詞】【名詞】」構造にすることによって、当事者のアイデンティティを尊重した表現にしているのです。
「お金持ちの女性」がいるように「トランスの女性」もいるよね、とか、「感じのいい男性」がいるように「トランスの男性」もいるよね、という感じです。
さらに言えば「お金持ちのトランスの女性 a rich, trans woman」もいるし「感じのいいトランス男性 a kind, trans man」もいますね。そのように列挙できる形容詞の一つとして「trans」がある、ということです。
逆に言えば、「a transwoman」や「a trans-man」は全体が名詞になってしまっているので、それではあたかも women や men とは別の生き物のようではないか、ということです。
(もちろんトランス当事者で「私は trans-man だ」と言う人もいたりします。そこには「トランス男性である私の特異性はシス男性には共有されていない」という主張があったりします。個人が自分をどう呼ぶか、どう呼ばれたいかと、一般論として現在どのような表記が望ましいとされているのかは別の問題ですので、当事者に押し付けないよう気をつけたいですね。)
さて、短くまとめようと思ったのですが、今回も結構長くなってしまいました。
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次回は次のような内容を取り上げる予定です。
社会モデルは万能か? 相互作用を重視する新しい ICF という考え方とは?
ableism も disableism も「障害者差別」?
「合理的配慮」は誤訳?
お楽しみに。
瀬戸マサキ

